2012年1月5日木曜日

1年振り


1年ぶりの母との再会


最近だと忙しくて正月一回帰ったときしか来れない墓参り。


もう亡くなって4年ぐらいが経ちました。


実はアパレルは一度辞めて東京から実家に戻り
母と弟と3人で4ヶ月半10年ぶりくらいに毎日同じ屋根の下で生活し
今まであまり帰って来れなかった分東京の話や弟の話をしたり
毎日本当に太陽のような包み込むような優しさに触れながら
まさか死んでしまうなんて当日まで予想したことはありませんでした。
 
脳幹出血。


神経をコントロールする中枢で
出血した場合助かる可能性はかなり低く、手術さえ出来ませんでした。


倒れた日、朝いつものように変わらない様子で自分を見送ってくれました。


その数時間後の出来事です。


 倒れて意識不明、呼吸も機械でしか出来ない状態
その七日後に意識は一度も戻らないまま旅立ちました。
毎日病室に行き交代交代で夜通し付き添い久々に母親の手を握り
奇跡が起こることを願いましたが届きませんでした。


でも一緒にいた4ヶ月間の中で悟っていたかのように
自分がなんかあった時は兄弟助け合って生きていってほしい。


 和文は私が自由じゃなかった分自分が信じるようやりたいように生きなさい。
そうすればきっと幸せになれる。


そう言っていました。 


その言葉があったからこそ
腐らずにもう一度アパレルで精一杯やっていっこうと心に決め
行動できたんだと思います。


地元から東京にまた再度移ってきたときは今までで最悪の状態まで行き
もう無理かなと何度も思いましたが幾度とそんな時にピンチを抜け出せるきっかけが
なぜかあり助けられました。


見守ってくれてるのかなとふと感じたことが幾度もありました。


今回も自分の大事な仲間たちが車で送ってくれました。


 去年特に周りの方々に本当にお世話になり支えていただきました。


ただの憧れだった方々が自分に力を貸してくれたり励ましてくれたり
昔からの仲間は常に自分を助けてくれたり


 その分今年はもっとさらに前進できるよう頑張ります。


母や仲間や支えてくださったみなさんのためにも。


最後はお供えした母が大好きだったビールを飲みながら


また今年来れたらお盆くらいに来るよと話をしてきました。


さて墓参りした後は岩手の義理の父の家へ。

2 件のコメント:

  1. 移行されたオフィシャルサイト、ブログページに参りました。

    ブログを拝見して涙ぐんでしまいました。

    最近、井上陽水さんの曲、人生が2度あれば、を聴いて涙ぐむ年齢になりました。

    お母上様は人生をご自身で歩まれたことにより、息子には自分で選択した人生を歩んでほしい、と思われ、おっしゃったのでしょう。

    年齢を重ねれば、重ねるほど、重みを感じさせられ、素晴らしく愛情をとても感じる言葉であることを気づかされますよね。

    私は、Kazufumiさんと知り合えてよかった、と今日あらためて思いました。

    Hide(Gilles)

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  2. Hideさんあけましておめでとうございます!
    今年は一緒にのみにでも行きましょう!
    母親の死は本当にしんどくて逆に没頭するのがないとやって行けなかったと思います。
    本当にコレがあってから根本の考えがガラリと変わりました。
    本当色々教わりました。

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